魔の山269ページ

 

興味深い一文があったので引用し検討してみたい。

ここでいう彼とはイタリア人セテムブリーニをさす。

 

彼によると、工学は自然をつぎつぎに征服し、連絡をつけ、道路網と電信網を完成し、それによって風土的差別を克服し、諸民族を相互に接近させ、相互の親睦を促進させ、相互の人間的協調の道をひらき、諸民族の偏見を打破し、最後には人類全体の融合統一を実現させる上に、もっとも信頼できる手段であった。人類は暗黒、恐怖、憎悪から出発して、光輝ある道を前進し向上して、融和、内面的光明、親善、幸福という最後の目標にむかうのであって、この途上で工学はもっとも有効な推進力であるそうであった。

 

 

わたしは工学、科学というようなものには否定的だったので、このような見方があるとは新しい発見だった。意外性すらおぼえた。というのは、工学は無機的、非人間的というイメージがあったからだ。しかしながらここでセテムブリーニはわたしに言わせれば無機的、非人間的である工学を、その対極にあるであろう人類全体の融合や幸福といった人間的な価値をはらむものとして捉えている。はたして工学は「人類全体の融合統一」「融和、内面的光明、親善、幸福」という目標にむかうことになるのだろうか。

 

そもそも工学の定義としては

 

ブリタニカ国際大百科事典

学問体系は古くギリシアフィロソフィア philosophiaに端を発し,ローマ期に自然科学 scientiaが分化したが,技術が工学として分化したのは比較的近年で,蒸気機関の発祥地イギリスでさえ,名門大学では最近まで工学部がなく,それは philosophyの一分科とされた。」

 

世界大百科事典

工学は,古くは軍事技術military engineeringだけを意味した。しかし,18世紀以来,軍事以外の技術civil engineering(現在は土木工学の意味)が発展し,それ以来,工学とは,エネルギーや資源の利用を通じて便宜を得る技術一般を意味するようになった。」

 

魔の山」は1924年の刊であるが、第一次世界大戦ごろの出来事なので、1914年ごろと考える。ということはここでセテムブリーニがいう工学とは「エネルギーや資源の利用を通じて便宜を得る技術一般」と考えることができる。

 

 第一次世界大戦という時代柄もあり、工学といわれても軍事的で物騒なイメージしか思い浮かばない。技術の発展は、ものの短時間にして多くの命が奪われることを可能にした。東西冷戦の時期にはもはや実力行使にでることはできなかった。

 

これは現在の核の威力を図で表したものである。

 

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(Ingeniously Charting The Horrifying Power Of Today's Nuclear Bombs | Co.Design | business + design)

 

 

これほどまでに我々の技術というのは進んでいる。我々がつくりだした技術によって人類を滅亡させることはもはや不可能ではないのではないだろうか。

このようなことを考えるとき、工学をセテムブリーニがいうような「光輝ある道を前進し向上してゆく」よすがとして捉えることは難しいのではないかと思う。